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6/25/2016

カレンデュラ(キンセンカ)

日本では観賞用、ヨーロッパではメディカルハーブ

和名: 金盞花(キンセンカ)
別名:ポット・マリーゴールド

梅雨の真っただ中、バルコニーで育てているハーブやお花にお水をあげなくても良いという点以外は私にとってあまりメリットのない雨の1週間です。
そのバルコニーで育てているカレンデュラの黄色い花が一輪、美しく雨の中に咲いていました。

南ヨーロッパ、地中海沿岸が原産地であるキク科のカレンデュラ。和名は金盞花(キンセンカ)別名はポット・マリーゴールドなどと呼ばれている黄色やオレンジの花をつける一年草です。
民間療法で古くから親しまれてきたカレンデュラ。

日本には17世紀、江戸時代後半に中国から伝来したそうで、金盞花という和名は花の形が盃に似ていることからこのような名前が付いたとか。そしてカレンデュラという英名はcalendar( カレンダー)の語源となった言葉でラテン語の一ヶ月を意味するそうです。カレンダーをめくってもいつも花が咲いている、花の楽しめる期間が長いとう理由からカレンデュラCalendula と呼ばれたそうです。学名のCalendula Officinalis  オフィシナリスは"薬用の"という意味だそうで名前からどのようなお花か多少想像ができますね。日本では大半が仏花などをはじめとする観賞用の花として栽培されていますが、ヨーロッパではメディカルハーブとして扱われ食用花としても知られています。黄色やオレンジの明るい色の花をつけるカレンデュラはヨーロッパで十数種にも及び特にカナリア諸島では20種類が分布しているそうです。その鮮やかな色素は着色料、染料などの原料としても重宝され、比較的安価な事からサフランの代用品として利用されます。
余談ですがアロマテラピーではビターオレンジの葉や枝などから抽出されるエッセンシャルオイル、"プチグレン"がビターオレンジの花、"ネロリ"の香りに少し似ていて、大変高価なネロリより安く手に入ることから「貧乏人のネロリ」と呼ばれることがあります。ここではカレンデュラが「貧乏人のサフラン」と呼ばれ比較的安価な着色料として親しまれているのですね。
さて、そのカレンデュラ。花びらが重なっているもの(八重咲き)やそうでないもの(一重咲き)、花弁が黒いものなど色々な花を見ることができます。類似している花にマリーゴールドがありますが、こちらは食用ではないそうです。
オレンジや黄というカラーははポジティブなイメージですが意外にも花言葉はネガティヴで
・慈愛
・静かな想い
・暗い悲しみ
・別れの悲しみ
・乙女の美しい姿
・失望
・悲しみ
・用心深い
・悲嘆
・初恋
・さびしさに耐える
などが挙げられます。それもギリシャ神話に出てくる太陽神 へーリオスに纏わるエピソードに関連されているという説があります。もっと詳しく読む。


昨年、ドイツ人の医者である友人と一緒にロシア人とドイツ人の夫妻が営む農園を訪ねた時、そこでヨーロッパで見ることのできる色々なメディカルハーブや野菜、花や果物について教えてもらいました。夏だったので沢山の花が咲き乱れそこの畑の一角にカレンデュラもありました。
丁寧に手入れされている農園のハーブや野菜。
その説明で「ドイツでは薬用のハーブとして重宝されている。食べる事も出来るんだよ。」と花を一輪摘んで食べさせてくれたのですが、私が味見した時土を噛んだので吐き出して捨てようとしたら友人はそれを勿体無いと言わんばかりに拾って食べたという何とも奇妙で面白い衝撃的な出来事があったのを忘れることは出来ません。苦い味で刺身に添えてあるような菊の味がしました。

良薬口に苦しと言われるようにカレンデュラは多くの薬理作用があります。
私がサロン勤務の時、店頭で妊婦さんと赤ちゃんにホームケア用のキャリアオイルとしてお勧めしていました。妊娠中のママのケアから赤ちゃんのおむつかぶれにまで幅広く使えるカレンデュラの浸出油は以下の特徴があります。

抗ウィルス、抗菌、抗炎症、通経、発汗、利尿、皮膚・粘膜の保護、収れん、抗酸化、血行促進 などの効能があることから、胃炎、口内炎、風邪やインフルエンザの予防、冷え性、むくみ、生理痛などの緩和に期待できると言われています。

肌への作用としてのカレンデュラオイルは傷を癒したり、肌の上にバリアを貼ってくれるイメージがあります。肌の内部の水分を保持し、雑菌などから肌を守ってくれる働きがあるようですね。個人的にはマッサージの時のベースオイルにブレンドして使ったり、さらに抗酸化作用の高いアルガンオイルとブレンドして精油を幾つか落とし美容液として使ったり、あとは冬場の手荒れや傷のケア用に軟膏を作ったり肌のために使う事が多いです。

ハーブティーで飲む場合にも沢山ポリフェノールを含有しているので、抗酸化作用やアンチエイジング効果が期待出来るみたいですよ。ハーブやアロマセラピーで使う植物のオイルは薬のように即効性があるわけではありませんが穏やかな効果が得られるので比較的安心です。深刻な症状の場合はもちろんお医者さんに診てもらう方がいいと思いますけど、肌のための常備薬代わりにカレンデュラオイル、一本あるととても便利なオイルです。

6/20/2016

自分を見つめる旅 Newstrelitz (2)

今回は前の旅の日記の続きを書き留めておこうと思います。ノイシュトレーリッツはドイツ北西部メクレンブルク=ホワポンメルン州にある町で、ベルリンから北に約120km、(ローカル線の電車で1時間15分)のところに位置します。
沢山の湖が見られるノイシュトレーリッツ。

メクレンブルク湖水地方は約12000年前に氷河期最後の雪解け水によってこのような地形に形成されたそうです。
巨大な森、ミューリッツナショナルパークで湖のほとりを歩きながらそんな話を聞いていると頭の中に巨大な氷河が溶けて流れ込む様子が目に浮かび、感慨に浸りながらさらにさらに森の奥へと進んでいきました。
今朝は鳥のさえずり声と日の出と共に目を覚ましました。着替えを済ませた頃にちょうどファルクも部屋をノックしてくれました。まだ日中との気温差激しいドイツ。寝る前にファルクが準備しててくれていた薪ストーブのおかげで凍えずに熟睡できたはずなのですが…。実は旅の初っ端から大変なアクシデントに見舞われたのでした。
昨夜、夕食を済ませたあとファルクが私の部屋の出窓に喉が渇いたら飲めるようにと気を利かせてハーブティーの入ったティーポットを置いてくれていました。薪ストーブの火が勢いよく燃えて彼が言ったとおり、深夜には部屋がサウナ状態に。暑さに耐えきれず目を覚ました私は暗い部屋の中、月明かりがぼんやり照らす白い窓枠を頼りに手探りで見つけたレバーを引き、ずっしり重い窓を少し開けました。冷たい風がすうっと隙間から流れ込んで部屋は丁度良い温度に、私はまた深い眠りにつきました。その時いきなり側でガシャーンと陶器の割れる音がしてハッと目を覚ました。私はそれが何かという事にすぐ気が付きました。強い風が吹き込んできた瞬間、窓が押されて大きく開きティーポットが落ちて割れてしまったのです。間違いなく3世代は大切に使ってきたであろう古く美しいデザインが描かれたティーポットは悲惨な姿に、そしてまだおろしたてのカーペットにハーブティーが染み込んでしまいました。ファルクのお母さんの思い出がいっぱい詰まったティーポットを壊してしまった。ああ、時間を戻せたらいいのに...。とっさにテーブルの上に置いていた明らかに小さすぎるハンカチを染みに押し当て、壊れた破片を1つ1つ片付けながら次にどうすれば良いか考えていました。
薪ストーブのあるベッドルーム。
薪ストーブの炎は落ち、ほのかな温もりが部屋に残りベッドもカラッとふかふかで快適なはずなのにこの惨事のためにその後は全く眠りにつくことができませんでした。そして翌朝起きてから泉の湧き水を飲むまで口を開いてはいけないという約束事をすっかり忘れてしまっていた私は、おはようと言っても無反応なファルクに昨日の出来事がリンクしているのだと一方的に思い込んでかなり落ち込んでいました。周りの清々しい空気と木々の隙間に明るく差し込む朝日とは対照的に暗く沈んだ気分ままファルクの背中を追いました。森に入る途中でふと昨日の約束を思い出したのです。
どれぐらい歩き続けたでしょう。時計も携帯も持ち歩かない、暗黙のルールは了承済みです。ただ太陽の傾き加減と風の方角だけを頼りに巨大な森を歩き続ける彼は博識多才でとても同じ歳だとは思えません。「彼は話し出すと止まらないことがあるのよね。」と彼の母が話してたことを思い出し思わず笑顔になりました。日本を歩いて縦断し東海道を通って京都に辿りついた。と山で出会った時に聞いて彼はただ者ではなさそうだと思ったけれど、さすがに今回も私達が次に向かう方角を何の迷いも無く指し示す彼の指が私には彼はただ者ではないと語っているようにすら思えました。
ふと空を見上げると、太陽はまだ真上ではないことから正午より早い時間だということだけは私にもわかります。
朝に洗った長い髪もすっかり乾いて来た頃、やっと泉に辿り着きました。黒い土と湿った草の隙間からキラキラと湧き出る泉。ぬかるみを避けながら泉の傍に側まで歩み寄り屈んで両手いっぱいに掬いあげた湧き水を一口ふた口飲みました。それは冷たく、そして枯葉などの有機物を沢山含んだ湿地特有の土の味がしました。決して美味しい水とは言えませんがこの味は私にとっての唯一無二の忘れられない味になったのです。
一言目に口を開いたファルクは言いました。「喋りすぎだよ!笑」
忘れてた!ゴメン。笑い声は広い森に響き、水の流れる音と木々の犇めきあう音と共に穏やかに消えていきました。

森を歩いていると、所々に明らかに人工的に木で組まれた台があります。それは猟師の為の見張り台だとか。獲物の行方を観察する台だそうですね。そしてその近くに建てられた丸太の先を指して「これ何の味がすると思う?」とファルクは木の先を触ると指を舐めて見せました。私も真似して舐めてみたところ木を止めていた釘の錆びた鉄の味が鼻からツンと抜けました。「何これーっ!不味い。鉄!!」ハーブや蜜のフレーバーなんかを想像していた私は予想外の味に顔を歪めて叫んでしまいました。ファルクと一緒に味見する物っていつも変わった味がするような気が…(苦笑)「ああそうかい、まあ鉄の味もするけどね。笑」それは動物を誘き寄せる為に塩の塊を置く台のついた丸太だったのです。そう、この森は沢山動物がいるのですね。土の上には動物たちの毛や足跡が付いていてそこからファルクは動物たちがいた時の状況をいくつかの条件から推測して説明してくれました。「この両足跡の距離と体重のかかっている位置と足の爪の開き具合からして速く走ったことが判る。しかもこの足跡とこっちは違うね。これも違う。鹿の群れで何かから逃げたようだね。そして、あっちの木の下は安全な場所。あそこで止まってるね。」ファルクの話にのめり込むように聞きいっているとまた、私の頭の中に沢山の鹿の群れが目の前を走っているイメージが出来上がりました。他にも樹液を集めて天然ゴムを採取した頃の傷跡が木に残っていたり、1945年以前かつてのロシア赤軍がこの森で演習をしていた頃の戦車の通り道や停車場も当時のままの姿を残していました。そして木材になる木の種類もとても豊富でビーチやバーチ、ホワイトウッドやオークなどを身近に見ることができました。時々立ち止まって白い古い木の皮を剥いでポケットに詰めているファルク。何に使うのかと訊ねたところ、この木材が薪ストーブの火を最初に起こすときには1番最適だとか。さらに歩き続けましたが、森の中は陰が多くたまに冷たい風が吹くので薄着だった私の身体は徐々に冷えて来ました。寒いのかい?ファルクは道を逸れると徐ろにすすきの穂を摘み始め、集めた穂の束を私に差し出しました。そうです、私の予想した通りこれを背中とお腹に入れておけと。いい毛布代わりになるよね?と言わんばかりにファルクは微笑を浮かべ、また歩き続けました。すすきの穂は細かい屑が散らばり、硬い茎の部分がチクチクと肌に当たるので決して快適とは言えません。でも何も無いよりはマシだしこのまま寒さに耐え続ける訳にもいかないと彼のアイディアを肯定するよう自分を納得させて青いソフトシェルと肌着の隙間に乱雑にそれを詰め込みました。そしていつも通り振り返りもしない、待ってもくれない彼の後を追いました。着ぐるみを着ているかのように膨らんだおなかで。かなり不恰好な容姿のまま小走りで。その姿はまるでドラえもんです。こんな姿、見たらみんな笑うだろうな…。でも幸いここには誰も居ません。
そう、仮に大自然の中の社会に必要最小限の物だけで生きていかなければいけないとすれば、私は何を本当に必要とするのでしょう。考えてみるととても深く面白いのです。必要性の高いものの優先順位の位置付けとして"華美な装飾"例えばメイクアップなどはかなり優先順位の低い、もしくは不必要に等しいのではないかと思いました。一般に言えば子孫繁栄の為に雄を魅了する目的?それ以外にここでは必要では無いのかもしれませんね。いや、でも雄を魅了するのに着飾ることは自然界では通用しないのかもしれません。飾られた美は雨や風、自然界の中では一瞬にして消えてしまうもの。動物の中の人間として異性を魅了する為のものにはそういう飾られた美は必要なく知識や人間性、優しさや思いやり裸の自分になった時であっても無くならないものである必要があり、生まれ持った美しさや個性を受け容れてくれる相手が自然にパートナーとして成立するのかもしれないと思いました。でも実際私たちは森の中で生活している訳ではなく、モノに溢れた現代社会に属しているので少し話が違うとは思いますが。しかし日常社会に戻ってもきっとベースは同じであるべきなんでしょうね。そこにプラスαメイクアップやファッションで自分のカラー、香り、個性をアピールするのは悪く無いと思います。もちろん人それぞれ、意見は異なると思いますが。でも少なくとも私はこの数日しばらく日常社会から離れ周りからの情報、SNSを断ち、自然と向き合って過ごしてみた中で幾つか大切なことを再確認できた気がしました。

そして午後になり、私達が森の中から広い草原に出たときには二羽の野生のツルが華麗に舞う姿をも見る事が出来ました。暫く立ち止まり双眼鏡を開いた私達は静かに息を潜めて彼らの姿を観察しました。 細く長い脚の美しい二羽の鶴はエレガントで美しくいつまでも眺めていたいと思うほどでした。
この深い森には長い歴史と共に育まれてきた人々の知恵や貴重な自然の産物、野生動物の住処が残されている国立公園として沢山の自然愛好家に親しまれ続けているのです。
小屋に戻ったあと、ファルクは前日に作ったというミルクのスープを温めてくれました。なんかもうチーズっぽくなってるね、と笑いながら。お決まりのライ麦パンに始まってハーブ入りファーマーズチーズをはじめとする数種類のチーズ、リンゴとブドウ。シンプルでも温かい食事にイースターホリデーの沢山の美味しいチョコやナッツなどのお菓子を大人の私だけのために隠してくれるなど心憎い演出まで。彼の心のこもったホスピタリティに再び感動させられました。
鳥の図鑑と双眼鏡を片手に、森の木々の声、自然に残る歴史や動物たちの足取りを辿るこの旅で美しいものに出逢い、普段気付かなかったことについて改めて考えたり自分を見直すことが出来たことは何よりの収穫だったと思います。

Thank you so much! Peter, Johanna , and Falk.